第1回有吉佐和子文学賞 奨励賞 「八週五日」谷和佳乃 (和歌山県岩出市)
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和歌山市広報広聴課です。
今回も「第1回有吉佐和子文学賞」受賞作品をご紹介させていただきます。
第1回有吉佐和子文学賞 奨励賞「八週五日」
八週五日。17年前、2センチ程の私は、母の羊水の中でゆらゆら浮かんでいた。頭と身体の大きさが同じくらいで、卵黄嚢という卵の黄身を抱えている。胸のあたりで鼓動をとくん、とくんと鳴らしている。
その超音波写真には「一条の光」という母の手書きの言葉が添えられていた。私はそっと母子手帳を閉じた。私はいつの日もひとりではなかった。
まるでへその緒みたい。「ぽたぽた」と雫はチューブの中に零れ落ちる。甘ったるいみるく色の食事は、そのまま胃に流れていき、姉の命を繋ぐ。
母と姉の歩んできた時は、紀伊山地の季節の中で、漂いながら心に染みる。医療的ケア児だった姉も21歳になった。母は自分の命を削りながら姉に栄養を送る。
この頃、母はなにかと手間取ることが増えた。きっと母の指が少し曲がってきているからだろう。母の姿が明日の自分に重なった。
あの頃の私は、ちっともさえない顔だった。理由ははっきりしている。ある時、心無い不用意な言葉をかけられたからだ。姉に向けられた言葉なのか、妹の私になのかは分からない。ただその日を境に、言いかけては言葉に詰まり、姉の存在を友達に言えなくなった。ひょっとしたら友達が友達でなくなるかもしれないからだ。適当に流しておけばいいのに、卑屈になり反発する私が目に浮かぶ。
大切な家族が社会の一員から離れた場所にいるという現実は抗うことはできない。姉の一番の理解者でありたいと願う私が、姉の重みに潰されそうになった。
そこからは転がり落ちるように、私の歩みはもつれ、進めなくなった。何をやっても上っ面で、のめり込めない自分にがっかりした。笑っておけばいいのに、知らないうちに深い底に沈んだ。
そんな立ちゆかなくなった私の価値観を一転させてしまう出逢いがあった。
「一条の光」という母の言葉だ。口に出して言ってみると、すとんと私の胸に落ち、生き返っていく感じがした。桐箱の中で乾いていた私のへその緒は、とくんとくんと脈を打ち始め、渇いた魂を潤した。
母はもちきれない悲しみのなかで、新しい命に希望を託した。その母の思いが、今、私の身体中を巡った。母は私の命を望み、私を必要とした。母と私は今も見えないへその緒で繋がっていたのだ。私の口元に笑みがこぼれた。
言葉は強いちからを宿している。言葉によって傷つくこともあれば、救われることもある。私にとって「一条の光」は、血のように流れ、乾いた魂を潤した言葉であった。
魂を揺さぶる言葉は、生きる問いを考え、誰よりも深い底にいた者だけが感じることができる。
道に迷えし時、私はこの言葉をこれから何度も繰り返し口にするだろう。ときにはお守りのように、ときには羅針盤のように人生を照らすであろう。
行き場のない絶望のなかで、誰かに必要とされていること、そこには希望という気高い光が降り注ぐ。私は言葉の光に包まれた。自分自身の人生や友情を手に入れる喜びが私を待っている。
三十八週一日。推定体重2900グラム。明日産まれる予定の私は、背中を丸め、身を守っている。迷い無く生きようとする姿は巣立ちを待つ小鳥のようだ。大丈夫、産まれておいで。
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