第1回有吉佐和子文学賞 佳作 「胸の中でひかるもの」桑原祥恵(東京都足立区)
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和歌山市広報広聴課です。
今回も「第1回有吉佐和子文学賞」受賞作品をご紹介させていただきます。
第1回有吉佐和子文学賞 佳作 「胸の中でひかるもの」
大学の四年間、わたしは学生寮に入っていた。
門をくぐり敷地に入ると、手前に男子寮が、奥に女子寮がある。東京のはずれの、緑に囲まれた寮だった。
家賃が安く(月額約2,000円)、入寮には保護者の所得制限があったため、わたしも含め、裕福な家の子は一人もいなかった。
学費を自分で負担している学生も多く、みな携帯電話を持つ余裕はなかったので、電話は談話室の公衆電話でかけた。家族にも友人にも恋人にも。会話は完全に筒抜けで、プライバシーはほとんどなかった。
二人一部屋で鍵もエアコンもなく、トイレもお風呂もキッチンもみな共同だった。
それでもわたしにとってその四年間は、楽園みたいに楽しかった。
全国各地から来た、同じ年頃の女の子たち。その一人ひとりとゆっくり友達になり、少しずつ少しずつ、家族のようになった。
夜中にみんなで観るホラー映画も寝不足のまま一緒に食べる朝ごはんも、並んで入るお風呂も交代でする洗濯も当番制のトイレ掃除もなにもかも、彼女たちと一緒なら、ぜんぶ楽しかった。
長い長い、キャンプみたいだった。
卒業の年の3月。
それぞれ就職と引っ越し先が決まり、一人また一人と寮を出ていく季節は、寮全体がひっそりと息をひそめているようだった。開け放たれた窓から入るやわらかな春風、沈丁花の香り。
「いつか、おばあちゃんになったらさ、あたし、さちの隣に部屋を借りるよ。」
わたしの引っ越しが二日後に迫ったその日、6人ほどで夜ごはんを食べていると、ふと、誰かがそんなふうに言った。
「それいいね」「あたしもそうする」「そういうアパート見つけようよ」
みなが口々に言い、しんみりしていたその場が、ぱっと一気に華やいだ。
「年を取ったらまたみんなで同じアパートに住む」。
もう一緒に暮らさないのだ、という寂しさと、一人ずつ新しい場所に出ていくのだ、という不安に、びょうびょうとつよい風に吹かれるような心細さを感じていたわたしたちの胸に、そのアイディアはあたたかく灯った。
あれは決して約束ではなかったし、現実的なアイディアでもなかったけれど、その時のわたしたちにぴったりと必要な、お守りのような何かだった。
わたしたちが別々に暮らすなどという非現実的な明日より、はるか未来のそのアパートのほうが、ずっとリアルに感じられた。
だからこそきっとあんなふうに、その場にいた全員が、無条件にその未来を信じたのだろう。
おばあちゃんになった彼女たちと一緒に暮らすアパートが、今でも不意に頭に浮かぶ。
鍵もエアコンもちゃんとあるそのアパートで、離れて暮らしたことなど一度もなかったみたいに、わたしたちは暮らすだろう。
ときどき誰かの部屋でマックパーティをして、いつかの恋の話に笑うだろう。
新しい思い出を作りに、飽きることなく一緒に出かけていくだろう。
あのとき、白昼夢を見るように友人たちと強く信じたその場所は、ここではないどこかの世界線に、ほんとうにあるのかもしれない。
どこかの世界のその場所は胸の中であたたかい光を放ち、今でもそっと、わたしを励ましている。
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