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第1回有吉佐和子文学賞 最優秀賞 「手紙」日沼よしみ(山梨県南アルプス市)

ご覧いただきありがとうございます。
和歌山市広報広聴課です。
最後に、「第1回有吉佐和子文学賞」受賞作品のなかから最優秀賞作品をご紹介させていただきます。


第1回有吉佐和子文学賞 最優秀賞 「手紙」

日沼ひぬま よしみ(山梨県南アルプス市)

今年、後期高齢者に突入した私。
腰こそ曲がってはいないけれど、髪は何年も前に染めるのを止めたので真っ白だし、新聞を読むのに老眼鏡の上に拡大鏡を掛けなければならないこともあります。子供たちと一緒に近くの神社にお詣りすれば、石段でつまずいて顔中血だらけになる始末。
そんな私が、実は今、胸がどきどきするような恋をしていることを誰も知らないでしょう。

それはある日のことでした。
押し入れの整理をしていた私の目に、ずっと奥のほうで、ひっそりと息をひそめているかのような段ボールの箱が目に留まりました。
見つめることしばし。
所在こそ忘れはしなかったものの、今更という気恥ずかしさもあり、ついぞ開けてみようなどと思ったことのなかったそれが徐々に、まるで玉手箱のごとき光彩を帯びてきました。

私はうっすらとした埃を払い、ガムテープを丁寧にカッターナイフで切り裂きました。
中には、ぎっしり詰まった色あせた手紙の束が。
少しの躊躇のあと、私は一通、二通と手に取り読み始めました。
忘れていた記憶がくゆり立ち、覚えている記憶には、まるで淡い水彩絵の具が乗るように感じながら、次から次へと手が伸びました。年甲斐もなく、なつかしさで胸をいっぱいにしながらね。

それはなんと、そのむかし、4年半に亘って、あなたと私とで交わした260通あまりの手紙の束だったのです。

そう、そうね。あなたと私は、中学三年生のときの同級生でした。たまたま同じ高校に進学し、あるころから自転車を並べて帰る日が出はじめ、そして、高校卒業と同時に東京の専門学校に進学したあなたと、郷里に残った私との間で文通が始まったのね。

公衆電話での遠距離通話ではポトリポトリと十円玉を落とし続けなければならなかったあの時代「別々の暮らしのほんの一部を結ぶたったひとつの手段のこの文通が、虚栄や偽善に陥らないように」と、全く信じられないほどの生真面目さで確認を取り交わしています。なんと微笑ましいではありませんか。

お互いにほのかな好意は自覚していたのでしょうけれど、男子ばかりの寮生活を送るあなたにとって折々に届く郷里の女友達からのそれは、きっと郷愁を誘う暮らしの潤いとして存在感を増していったのでしょう。私の手元に「生涯、大切にするよ」と書かれた分厚い手紙が届いたのは、文通が始まって4年近くが経った頃のこと。待ちわびたあなたからのプロポーズでした。

ああ、あれからもう50年以上の歳月が流れたのですね。約束通り、あなたは真面目に、本当に愚直なまでに真面目に、ひたすら私たち家族のために働いてきてくれました。

望まずに病を得るあの日までは。

あなたがパーキンソン病を発症して18年が経ちました。
完治する薬のない進行性の難病で、寝起きには介助が必要、歩行も出来なくなりました。内臓の機能も衰えてきたので排便は人工肛門。去年の秋には誤嚥性の肺炎になり、私は子供たちと相談し、とうとう胃ろうの造設をお願いしました。
だって、あなたは認知症もずいぶん進んで、そんな重大なことの意思表示も、今はもう出来ないんですもの。
美味しいもの大好き人間のあなたが味覚を失って、今、どんな気持ちでいるのでしょう。ねぇ、あなた。これでよかったのかしら。あなたは今、幸せですか。

現在もあなたは入院中。
実はね、先日、退院を想定して主治医との面談がありました。
「介護量は一段と増してきますが、まだ家で看るということでいいのかな]
ですって。

私はふと、二人で交わしたずっしりと手に重たいあの手紙の束を心に思い浮かべます。

若く、まだ私たちがそれなりに輝いていたあのころ、やさしさとユーモアとに満ち満ちたあなたからの手紙を、私は胸ときめかせて待ち焦がれたものでした。
時は流れ、コロナ禍で面会も叶わず、不安でいっぱいな日々の連続だったあの日あの時。まるでこの時を選んで現れたかのような古い手紙の束を、私はこみ上げる熱い思いと一緒に抱きしめました。

こんなにも私を励まし、幸せにする贈り物が今までにあったでしょうか。そして、目頭を押さえつつ、この手紙を出発点として共に過ごした歳月もまた、何物にも代え難いあなたからの贈り物であったことに気が付きます。

たくさんの感謝とともに来しかたを振り返りつつ、私は繰り返しあなたからの手紙を読みながら、二度目の恋をしています。

あなた、大丈夫。私はがんばれる。
もし、あなたが私の名前を忘れてしまったとしても、あの手紙を交換し合ったあのころと今とは、ずっと繋がっているのだから。私たちの出発点で「生涯、大事にいたわるよ」と誓ってくれたあなたが、今の私をこうして立たせてくれているのだから。
だからね、私はがんばれる。がんばれるよ。大丈夫。


※note転載にあたり、WEBでの読みやすさを考慮し、漢数字を半角洋数字に。段落の一文字下げは削除し、適宜改行を行いました。文章の改変はありません。

有吉佐和子文学賞
有吉佐和子記念館の開館を契機に、和歌山市出身の偉大な作家、有吉佐和子の顕彰に加え、文学について学ぶ機会を創出することと、和歌山市の文化的風土を醸成することを目的として、令和5年12月に塚本治雄基金を活用させていただき、創設した文学賞です。
自身のことや世の中のこと、和歌山への想いなどについて、思ったまま、感じたままに表現いただくことを目的としてエッセイの作品を募集し、第1回は国内のみならず海外からも含め、2,077作品の応募がありました。
ご応募ありがとうございました。

有吉佐和子文学賞に関する問合先
和歌山市産業交流局文化スポーツ部文化振興課
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